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四国八十八ヶ所

土 佐  札 所 マ ッ プ
 伊 予 札 所 マ ッ プ
土佐札所スナップ写真 
第31番竹林寺〜第45番岩屋寺
位置 本 尊 由 来 と 印 象
第31番竹林寺 高知市 文殊菩薩 聖武天皇が中国の五台山の夢を見、行基に頼んでよく似た霊地を探させた。

 ご詠歌

なむもんじゅみよのほとけのははときくしわれもこなればちこそほしけれ
国分川の橋を渡って五台山の急カーブを上りつめると駐車場に着く。坊さんかんざしを買うを見たというロマンスの寺は現在牧野植物園になっている。五重塔、庭園と宝物館が見もの。

蟇の四肢伸ばし泳ぐや弥陀の池
 
第32番禅師峰寺 南国市 十一観世音菩薩 100mあまりの小高い山容が観世音の補陀落山のようで大師が巡錫の折り命名
  

ご詠歌

しずかなるわがみなもとのぜんじなる
うかぶこころはのりのはやぶね
五台山から南国市へ車を走らす。階段のあがり口に不動明王が睨んでいる。急な階段を上る。途中から白っぽい巨岩奇岩がせり出しているのに気がつく。潮の浸食でできたという岩。この境内から土佐湾が見える。

お遍路の唱ふる経へ海の音
第33番雪蹊寺 高知市 薬師如来 延暦年間に大師によって開創された。運慶湛慶のゆかりでもあり慶運寺と改められたが、その後、長曾我部元親の菩提寺となり。元親の法号にちなんで改名された。
 


ご詠歌

たびのみちうえしはいまもこうふくじ
のちのたのしみありあけのつき
浦戸大橋を渡り海岸線をしばらく走ると雪蹊寺に着く。細い道をあわてて早く入りすぎたのかひっそりとした駐車場で歴代の住職のお墓へと書かれた立て札があり、裏山に続いている。ここは、禅宗のせいか質素な感じを受ける。

春愁や一縄で閉づ古社 
第34種間寺 高知県
吾川郡
薬師如来 この地に巡錫した大師は、中国から持ち帰った五穀の種を撒いたのが寺のおこり。本尊は安産の薬師如来で、祈願に来る。

 ご詠歌

よのなかにまけるごこくのたね
までらふかきにょらいのだいひなりけり
二期作を行うのか寺の土塀越しに早やのどかな田園風景が見られる。
正面本堂の左手に少し背の高い子安観音像が立っている。その像を囲むように底の抜いた柄杓が奉納されている。「通りがよいほどの安産に」と願をかける。
飛び交わす水路いく筋初燕
第35番清滝寺 土佐市 薬師如来 国行基が開創し、大師が巡錫した。十七日間修法され満願の日に金剛杖をたたくと水が湧き出、医王山鏡池清滝寺とした。

  ご詠歌

すむみづのくめばこころのきよ
たきじなみのはなちるいわのはごろも
仁淀川を渡り土佐市に入る。標高150mのところに清滝寺がある。狭い山道で何度かハンドルを切り返しをしながら上る。駐車場からの見晴らしもよいが、背高く立っている薬師如来像は圧巻である。本堂横には、清らかな水が落ちてくる小さな滝があり寺名縁起の呈をなしていた。
花菖蒲庭師機敏に腕さばき
第36番青龍寺 土佐市 波切不動明王 大師は、中国留学中に青龍寺の恵果阿闇利について学ばれたが、その恩に報いるため有縁の勝地を選んだ。

  ご詠歌

わづかなるいづみにすめるしょうりゅうは
ぶっぽうしゅごのちかひとぞきく
高知中村からを出てまず、宇佐大橋を渡る。有料とのっていたが、もう無料になっている。昔は、宇佐の渡りと呼ばれたようである。入り口から山沿いに3こずつぐらいにかたまりながら並んでいる小さな石仏が可愛いかった。百余段の緑に苔むす階段をのぼっていった。沈丁花の固きつぼみが今にもゆるみそうであった。    
石仏をいくつ過ぎ来し沈丁花
第37番岩本寺 高知県
高岡郡
観世音、不動他 開基は行基菩薩である。弘仁年間に大師が巡錫され、五社五ヶ寺を改築した。中世に入って兵火で焼失したが僧都が岩本坊と改めた。
 ご詠歌

むつのちりいつつのやしろあらはして
ふかきにいたのかみのたのしみ

深く入り江になった浦の内湾に沿いながら窪川へと走る。峠をいくつか越え岩本寺にいたる。本堂の天井絵が目に付く。裏手に土讃線が走っている。鉄道はこの先、大きく右に曲がり宇和島方面へ行くが、土佐中村鉄道が南へと続いている。本堂の前には、宿坊があった。観光バス2台で来た総勢40人ぐらいのお遍路さんが一斉に読経しはじめたので、神妙に私も拝んだ。納経堂が新しく鍵が光っていた。
閉ざされし納経堂や秋時雨

第38番金剛福寺 土佐清水市 千手観世音菩薩 寺弘仁年間に大師がこの地を巡錫。千手観世音を感得され、日本の最南端であるから補陀落の地として朝廷に奏聞され、その後、勅願所となった。
   ご詠歌

ふだらくやここはみさきのふねのさほなとるも
すつるものりのさだやま

足摺岬は、今回再び訪れた。四国の札所と札所の間が一番長いという。90キロあり、歩いて2泊3日の行程だという。観光バスでいっぱいだった。本堂近くに真っ白な亀石があった。入り口には、小さいながら椿の木があった。岬へは椿のトンネルがあり、一度は満開の椿のトンネルを歩いてみたいものである。大師堂は、最近建て直したらしくきれいである。
秋灯亀石白く浮きたてり

第39番延光寺 宿毛市 薬師如来 仁聖武天皇の勅命で行基菩薩が薬師如来を刻み、寺を建立。大師が、桓武天皇の勅願所として再興した。池の赤亀が竜宮から背負ってきたという鐘がある。
   ご詠歌

なむやくしごびょうしつじょのぐゎんこめて
まいるわがみをたすけましませ

宿毛で泊まった。あまり、大きな町ではなかった。山門はずいぶんと古い。生け垣のキンモクセイが境内に臭う。ここで福島ナンバーの車と出会う。みんな山伏みたいな格好をしていた。出羽三山とかかれていた。境内には、竜宮城より鐘を持ち帰ったという赤亀の像があった。本堂を支える梁も4つとも龍の形をしていた。ここで土佐16カ所の修行の霊場を終え、これより裏関所の観自在寺へといく。

第40番観自在寺 愛媛県南宇和郡 薬師如来 桓武天皇が病死し、皇太子が即位して平城天皇となった。その前年に大師が開創した。山号になっている。平城天皇も病弱でわずか3年で嵯峨天皇に位をゆずる。
 

ご詠歌

しんぐわんやじざいのはるにはなさきて
うきよのがれてすむやけだもの

桓武天皇が病死された後、平城天皇が即位した。当寺は、平城天皇の勅願所として、行幸されたという。ちょうどその隣には、平城小学校があったので印象的だった。境内のいたるところに萩の花があった。ここでは、住職とお話をしたのでついつい般若心経のミニ本やミニカ−ドを買った、しばらくは、それを見ながら唱えることにしよう。住職は、高野山でしばらく修行したことがあるといってた。
住職の修行話や萩こぼる

第41番龍光寺 愛媛県
北宇和郡
十一観世音菩薩 弘法大師がこの地に巡錫すると白髪の老翁に導かれた。sこで、この地が霊場だと知り、堂宇を建てられた。
 

詠歌
このかみはさんごくるふのみっきょうをまもりたまはんちかひとぞきく

住職が堅物で並んでいる人はみんなぼやいているようであった。「せいては、世の中うまく行くものでも行かぬ」と確かに並んでいるのを知りつつも、ぶつぶつ言いながら納経帳に書いている。でも、耳を傾けて聞いているとなかなか道理に合ったことをいっているようだった。この寺には。稲荷神社も上にあった。燃え立つような曼珠沙華も色を失い、枯れていた。もうそんな季節なんだなあと思いながら、寺を離れた。住職の堅物通す曼珠沙華

第42番仏木寺 愛媛県
北宇和郡
大日如来 大同2年大師は、この地を巡錫している時、牛をひいていた老翁に出会い。すすめられるままに牛に乗ると楠に宝珠がかかっていた。唐で東に投げたものであった。
 

ご詠歌

くさもきもほとけになれるぶつもくじなをたのもしききちくにんてん

危うく通り過ぎてしまうぐらい小さな看板であった。茅葺きの鐘堂が美しく印象的であった。境内に入ると右手に大黒天、裏手の山より三十三箇所札所めぐりが続いていた。数人の歩き遍路のグループの一人が「雨があがってよかった」と話かけてきたので、「大変ですね。」と相槌をうった。夜半から降っていた雨が今朝あがったところだったのでまだカッパを身につけていた。
秋時雨厠で交はす旅話

第43番明石寺 愛媛県
東宇和郡
千手観世音菩薩 桓武天皇が病死し、皇太子が即位して平城天皇となった。その前年に大師が開創した。山号になっている。平城天皇も病弱でわずか3年で嵯峨天皇に位をゆずる。
 

ご詠歌

きくならくせんじゅふしぎのちからにはだいばんじゃくもかるくあげいし

広い駐車場に広い境内。大杉に囲まれた寺の瓦は茶色で中国的な感じがした。折りしも紅葉が色づき始めていた。賽銭箱が面白く、畳一畳をとってその床下に賽銭をいれるようになっていた。
秋空へ大樹の枝を遊ばせて

第44番大宝寺 愛媛県
久万町
十一観世音菩薩 桓武天皇が病死し、皇太子が即位して平城天皇となった。その前年に大師が開創した。山号になっている。平城天皇も病弱でわずか3年で嵯峨天皇に位をゆずる。
 

ご詠歌

いまのよはだいひのめぐみすがうさんついにはみだのちかひをぞまつ

ここまで来ると次の45番岩屋寺を視野に入れないとまた、久万町までやって来なければいけない。久万町は、海抜約500m、大宝寺の門前町として栄えた町だ。四国山地のど真ん中に近い高原の町で比較的涼しいのか林檎園もある。宇和町の明石寺からずいぶん遠い(札所から札所の間は、二番目に遠い)。本堂の屋根の銅版が比較的新しいのか光っていた。八十八箇所のちょうど真中である。

第45番岩屋寺 愛媛県
南宇和郡
薬師如来 桓武天皇が病死し、皇太子が即位して平城天皇となった。その前年に大師が開創した。山号になっている。平城天皇も病弱でわずか3年で嵯峨天皇に位をゆずる。
 
  ご詠歌

しんぐわんやじざいのはるにはなさきてうきよのがれてすむやけだもの
駐車場からずいぶん遠く険しい急な坂道を歩かなければいけない。急ぎ足でも20分かかる。最後に来て、きつい。時間が気になる、ようやく間に合ったという感じ。中国で懸崖寺という寺があったが、まさにその日本版。大崖にぴったりくっついて寺が張り付いている。岩に押しつぶされないか少し怖い。納経をすまし、下に下りてきてしばらく上り口の店でラムネを飲んだ。せんべいも買った。そこから、松山へ下っていった。内子へ帰るほどの距離であった。

46番浄瑠璃寺〜第60番横峰寺

第21番藤井寺〜第30番鶴林寺