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済  南

済南のソフィテル銀座大飯店を8時30分に出発。朝のラッシュアワーを避けての出発であった。とはいえ、車、単車、歩行者と入り乱れる道路での通行は、かなり高度の運転技術を要する。突然、道路の真中で工事していたり、歩行者が立っていたりで、動体視力と反射神経が問われる国である。日本ではすでに廃止されているトロリーバスが走っていて懐かしい。済南で一番広いという泉城広場に少し風変わりなモニュメントがあり、通訳の張さんが、「あれは何を表していると思いますか。」と私たちに聞きました。「先日、優勝した近鉄バッファローの角のようにも見えるし、東にも見えるし・・・」と思いましたが、つじ先生は両方で玉を抱いているように見えるから「LOVE」と言いました。結局、済南のシンボルである「泉」でした。が、つじ先生の方がいいなあと思いました。ここ済南では、旧市街地を中心に多くの泉が湧き出る所なのです。

泰  山

やがてバスは市街を離れ、一路泰山へ向かった。高速道路が真っ直ぐ続く。高速道の両側では、春は菜の花、桃の花、そして夏は麦の金色と四季折々に色を呈しとても美しいそうだ。時折、石炭を積んだトラックが走る。曲阜や?州(エンシュウ)からのものという。やがて、3車線から2車線へと狭まり、木々も少なく所々に山肌も露出され埃っぽくなってくる。バスは、固山インタで下りて泰山へ向かう。泰山より流れる渓谷をしばらく上る。そして10時頃、泰山の麓の駐車場に到着。そこからロープウェイがある。6人乗りの可愛いゴンドラが揺れながら下りて来る。支柱と支柱との間が長いのか、ぶつかりそうに感じる。天気がよくゴンドラの影が通り過ぎる木々は薄っすらと紅葉しはじめている。

ゴンドラの連なり登る尾根の秋   よしひろ

頂上もくっきりと見えている。雨でなくて良かったとつくづく思う。泰山は歴代の皇帝が天地の安泰と国家永続を願うための「封禅の儀」を行うところで、国家が安定した時、初めて皇帝が泰山に登り、天の皇帝すなわち玉皇大帝に報告できるのだという。爾来、歴代皇帝をはじめ中国でりっぱに事を成し得た者が泰山に登るという。泰山へは本来、泰安駅の方から約7000段の階段を上って来るのが常道であるが、私たちは、それを避けて裏から登る。

ゴンドラが頂上に着く。係員は寒そうにコートを羽織っている。ゴンドラの着く駅は、下からの風が吹き上がり寒い。改札を出ると桃花源策道という天頂へ続く道が始まる。少し寒いが、太陽が燦々と照り気持ちがよい。天頂までは、道のりも遠く、階段もあるので惜しくも先生が残る。途中、「天街」という頂上に並ぶ店通りをぬけ南天門に至る。

   泰山
ゆく秋や「天街」といふ宙の街  よしひろ

ここで、七千段の階段を上がってくる人と合流する。少しうしろめたい。にもかかわらず同じ顔をして歩く。張さんが、「黄河は中華民国のゆりかご」「泰山は中国人の魂」そして続けてお嫁の父を「泰山」ともまた婿を「泰山のごとくおだやかに構えなさい」とよく言うそうである。それほど泰山という山は、中国人にとって大切に思っている山なんだなとあらためて思った。

白雲居、中升門を経て「碧霞祠」にお参りする。女性の神様で安産、病気祈願
のお寺だという。登上記念の赤い布や鍵が香煙をたくところに所狭しと結わられていた。碧霞祠をあとにしばらく登る。そして、天頂への最後の磴の登り口の大きな崖に、唐の玄宗皇帝の真筆とされている碑文が彫られている。実に端正な隷書である。内容は、14年目に報告に登山したと書かれているそうである。そしてついに私たちも1545mの天頂に到着したのであった。そして報告の中味がないが、とりあえず、登頂記念を玉皇殿に報告した。「何しに来たと言わんばかりの天の王様の大目玉があった。」 長居は無用である。そそくさと裏に回る。険しい山脈が続いている。すっかり紅葉だなあと山々を眺めいい空気を吸う。帰りには、日観峰という巨岩が見えていた、歩く自信もなく先生もさぞや待ちくたびれているだろうと思い、急いで下山する。薬草を売る者、土産物を売る者と歩いている人に近寄ってくる。にぎやかで活気が溢れている。

そのムードにも引かれ泰山煎餅を青木さんが買いましていただきました。ねぎ焼きみたいなもので卵も入れ薄味にしていましたがあまりおいしいとは言えませんでした。

ひやひやと頬吹く風や玉皇殿 よしひろ








曲  阜へ