AIで楽曲を楽器やボーカルに分離する

曲  阜

12時半に泰山を離れ、曲阜へと向かう。1時間ほどということでお昼寝タイムとなりましたが、辻先生だけは、バスの前に座って移りゆく景色にカメラを構えていました。けれど目は開いていたかそうでなかったかは、うしろからは見えませんでしたが・・。       
高速道はやがて曲阜北で下り、15分ほどで市内に入りました。街の入り口には孔子が馬車でやって来る像が建っています。 曲阜市は人口10万人ぐらいで全体で70万人ぐらいだという。孔廟は孔子の祭っている所です。漢の高祖劉邦が孔子の誕生日に祭礼を催してから、歴代の皇帝が祭るようになったそうです。

 



今日、宿泊する闕里賓館に一旦荷物を置き、孔廟へ行く。ここで曲阜の修さんが通訳してくれました。この街は西安に似たところがあり、鼓楼や城壁も街の雰囲気もそんな感じが漂っていました。


孔 廟(曲阜)

                ライオンと獅子が入り口にある闕里通りを抜け、赤い煉瓦と土壁がある孔廟の前に出る。「金聲玉振」のやや丸みのある文字が門の入り口に彫られている。「これは曲のはじめと終わり忽ち孔子の思想を音楽になぞらえているのです。」と修さんが説明し始めました。なるほどと分かったような顔をして聴いています。少し小さな橋があると、「ここは厳しい科挙の試験を通った者がはじめてここを通るのが許されるのです・・」ふむふむと5mぐらい歩けば、また詳しい説明をしてくれる。ずっと先の方を見ると孔廟までまだ幾つかの門が続いている。

その門ごとに詳しい説明が入る・・秋の日がすでに翳りはじめている・・・そろそろ急がないと・・。その心配をよそに修さんは、いよいよ語調を高め「ここは孔子第六十四代の・・で・・これは孔子第七十二代の・・で」この頃から私の頭がぼぉーとし始めた。

「ふんふん・・なるほど」と答えるのであるが、内容より、「修さんは学芸員かなあとか、修さんも孔子直系の人かなあ」と余のことを考えるようになってきました。

三層の瓦がある奎文閣では、孔子の生い立ちの絵が順番にあり、説明は佳境に入っ
ていました。が、説明を聞いていたのは私だけでみんな消えていました。拓本を買ったりその辺をぶらぶらしていました。修さんもちょっと熱が入りすぎたかなと思ったのか売り子さんに冗談言ったりして休憩したりしました。つじ先生は、この頃から、修さんのことを「大先生」と呼ぶようになっていました。あまり説明聴いていなかったようだけど、事前に頭に入っていて、修さんの特徴もちゃんと捉えているなあと感心しました。  

木の実降るガイドの声を遠く聴き  よしひろ

                 
           
最後にたどり着いた孔廟は、北京の故宮を思わせる大きな庭と大成殿があり、孔子が私の内なる心へ呼びかけているように座っていました。実は、論語知らずで、早々と出たわけです。この孔廟は、実際、故宮より古いそうである。しかし、こうして歩いてきますと入り口が狭いのにずいぶん広いなあと思いました。実は、縦長だったのです。16時半、孔子廟を見終え孔林へと急ぎました。





孔 林(曲阜)


孔林は、孔子と孔子一族の墓園です。墓園といっても森林に10万基ほど点在しているらしく、歩くには広すぎますので電気自動車で案内してくれます。若い女の子でしたが不思議と顔が思い出せません。運転手だったので見えなかったのかも。林の中に立つ墓石は白く、人ぐらいの高さでしかも同じ方向に歩いていくようで不気味です。第何代とか書かれたお墓は直系でしょうか大きくて馬や羊の石像や家臣の石像が両側に立ち並んでいます。

             秋風や歩き出すかに墓の群  よしひろ

孔子のお墓          

車はやがて森の中央に位置する孔子のお墓につきます。
そこから、しばらく歩いていくと孔子のお墓にたどりつきます。
中央に孔子、墓碑には「大成至聖文宣王」と書かれていました。 左の写真の墓碑をよく見てください。王の字が見えなくしています。これは、孔子が王に気を遣ってということで見えなくしているそうです。


しかし、この孔林も孔廟も孔府もすべて彼が死んでから建てられたもので当人は全く知らないんです。右のお墓に息子の「孔鯉」。そして孫の「孔思」が孔子を取り囲むようにお墓があります。そして不思議なことに孔子の墓でまさに第75代の子孫と言う孔祥涛が絵を描いていました。鯉の絵や竹の絵など書いていたようです。

帰りがけに赤土が鮮やかで小さな可愛いお墓がありましたから最近亡くなった子供のお墓でしょう。
ここで、電気自動車とも別れ、宿に戻りました。日はすっかり落ちていました。

暮れ迫るおさな子の墓虫の声 よしひろ

夜の曲阜

夜は、疲れていたにもかかわらずホテルの周辺が何か明るくて食べてから外に出ることにしました。近くで露天が出ておりましたので、ぶらぶら歩きました。珍しい天秤ばかりで干しぶどうを買ったり小物を買ったりする人もいました。電灯のもとで食べたり買ったりしている曲阜の様子が直に見えて思い出多い街になりました。


孔  府(曲阜)

鼓楼の鐘が6時過ぎから鳴り始めています。いつものように8時半ホテルを出発して孔府へいきました。歴代王朝に厚遇された孔子一族の執務兼生活の場です。鼓楼の見える高くて長い塀を歩いていき、「聖府」と書かれた大きな門をくぐる。

中庭に小さな石があり、「これは馬に乗る時使う石台」「右側が馬から降りる時に使う石台」と説明をしてくれた。そこから狭く迷路のようになっており、当時はそれぞれの持ち場を世襲しそこの所までしか入れなかったようである。たとえば小さな洗面器のような石があった。建物の中へ流れるような仕組みになっているが中へは入れないように門がある。そこまで水をもってくる仕事の人があったのである。大奥は宦官はいいものの男子禁制となっており、孔子直系の妻の寝所や子供の寝所がある。全く今風のホテルのようなベッドがある。


宋の書画や使った籠などもあった。孔府は孔子が死んでから王朝の一級の位を受け孔子一族が大きくしていったようである。建物は手前から奥に進むにつれて清、明、宋時代のものという。中には畑もあり、植物園や蜜柑などの果樹も数多く植えられていた。門を出ると天が大きく開け枝をいっぱいに広げた楓の木が眼に入ったそれだけ、門の内は何か閉じこめられたような鬱な感じになっていたのであろうか、塀を隔てて別の世界を感じたのだろう。そこであの大先生と別れを惜しんだのであります。



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