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東 北 の 旅
青森(奥入瀬・十和田湖)・岩手(花巻)・宮城(松島・青葉城)・山形(立石寺・霞城)
青森県(奥入瀬渓谷)
早朝5時に起き、奥入瀬を周る。新鮮なブナ林の中を通る車もわずかで白く水をあげて流れる谿川に心が洗われる。車道と谿川の流れが同じ高さぐらいにあり、いつでも車をとめて水に手を入れられるからいい。
銚子大滝・・行きと帰りに寄った。下からでも上からでも見事な滝で奥入瀬最大の幅を持っている。
雲井の滝・・高さ25mから滝壷に落ち、その流れは岩間を思いのまま分かれ合流する景色も風流である。石ヶ戸・・付近では、滝こそないが流れがゆるやかで苔むす岩間をゆったりと流れている。

緑蔭を水滑らかに流れけり
青森県(十和田湖乙女像)
早朝、子ノ口まで来て十和田湖畔を眺める。遊覧船もヨットも何もなくきれいであった。湖に沿って休屋の乙女像を見に行った。高村光太郎最後の作品だそうだ。砂浜を10分ほど歩き、ちょうど砂浜が終わろうとした所にブロンズの乙女像があらわれた。近くで見ると大きい。乙女というより婦人であった。十和田湖を背景にすれば痩身だと負けてしまうのか、ずいぶんふくよかな体格であった。最後に、発荷峠展望台に行った。湖はこれより秋田県との県境になり見えなくなる。先ほど歩いた砂浜も遠くに小さくのびていた。周囲の外輪山や2つの半島が青い湖に突き出ているのがよく分かった。十和田湖の最後の美しい景色を目に焼き付けて秋田の十和田湖ICへ向かった。
秋気澄む湖岸に青し乙女像
岩手県花巻市(宮沢賢治童話村)
宮沢賢治童話村には、幻想的な世界を感じる所で大きな広場があり、山上には学校がある。親子連れがたくさん来ていた。教科書にある「やまなし」の木もあり、ちいさな実をつけていた。あの父さんカニと子供のカニの会話の碑があった。また、賢治の山野草園や狐、狸、山猫、熊などを登場する物語のセットが森のあちこちに点在していた。少し行った所に宮沢賢治記念館があり、多方面に渡る活躍ぶりをパネルで見るにつけその全能ぶりに驚く。「雨ニモ負ケズ・・」という一節が書きこまれた直筆の手帳には、賢治の素朴な情愛が見られじかに触れるような思いであった。

中尊寺金色堂
平泉前沢
ICで降りる。ずいぶん田舎という感じだ。奥の駐車場から金色堂へは、すぐであった。讃衡蔵の薬師如来や大日如来等見て回り、本命の金色堂へ行った。入り口には、芭蕉の句「五月雨の降のこしてや光堂」があった。コンクリートの建物に覆われた金色堂は、古きものとは思えぬほど豪華できらきらしていた。その中には藤原三代の遺骨が納められている。仏壇や巻き柱から黄金の光が放ち奥州藤原氏の栄華を十分に感じさせるものだった。芭蕉の句にあるようにここだけは、五月雨にあたっていないという光堂には、何か特別な霊域のように思われた。

松島
一木だけしかないような小さな島から人家があるような大きな島までいくつもあった。季節柄遠くまではっきり見えないが、かえって無数にあるように見える。五大堂は、坂上田村麻呂が建立したと言われ、桃山建築様式で美しく、松島の写真には、必ず登場する場所である。小さな橋2つで結ばれた小さな島。ここから見る松島湾も最高。まさに松島のシンボルである。1つの橋は透かしで海が見える。五大堂は、和歌山の棟梁が建てたというのでここにも結びつきがあるんだなあと思った。

青葉城址
鬱蒼と森に覆われた城址にぽつんと伊達政宗の銅像だけがあり何だか寂しい。かろうじて土井晩翠の荒城の月、藤村の碑がそのさびしさを埋め合わせているかのように立っている。最近できたらしい青葉城資料館での
CGが良かった。青葉城ってかくも素晴らしい城だったのだなあって思った。櫓跡から見える広瀬川は、昔もこのように曲がっていたのだろうか思いはめぐる。
その後、政宗が御廟瑞鳳殿へ行く。杉木立の中に建ち、資料館も併設していた。石灰で丁寧に葬られていたという政宗の顔の復元や墓の様子がよくわかった。政宗はまた、今後1000年は保存できるようにして子孫の立ち会いの元で再び眠りについたという。

山寺(立石寺)
「閑さや岩にしみ入蝉の声」の句は、どんな状況で作られたのだろうとよく思ったものだ。山形自動車道で仙台から1時間。登り口に翁の碑があり、写真をとってから本堂にのぼる。大勢の観光客が来ていた。樹齢幾ばくぞという杉小立、所々に白く風化した岩、階段も時に険しく、折りしも蝉しぐれ、まさに芭蕉の状況かとも思われた。登るごとにお堂があり、仁王門があり、五大堂がありで飽きなかった。絶壁に位置する五大堂は、小さな舞台のようになっていて展望台のように見晴らしよく、風が涼しかった。

霞城公園駅の細道を抜けて霞ヶ城(山形城)へ行った。公園下の駐車場に車をとめ、丸大手門へ行った。4月には、桜の名所となるようであるが、まっすぐと延びたお濠に沿ってJRが走るという珍しい風景であった。門の柱がすごく厚くてりっぱだった。内には最上義光の像があり、400年前の勇士の姿を物語っていた。しかし、園内はその門の外、何一つ城らしき建物がなかった。最上義光歴史館に入り、伊達正宗と共に奥州発展の礎を築いたことが分かった。3時半山形蔵王ICから山形を後にした。