8時30分、屯渓国際大酒店を出発する。九華山までは約200粁の道程とか。暫く古い街中を走りやがて田園風景となる。茶の産地らしく山裾には茶畠が多く、赤い山肌に手入れされた茶の木の緑が美しい,稲は穂が出揃いはじめ、畦豆、胡麻、かぼちゃ、糸瓜の花など馴染みの植物が多い。川も澄んでいて故郷の景色に似ている。途中団長より地蔵菩薩聖地の謂れについての説明があった。13時九華山入口に着くここでガイドの金麗さんに迎えられる。
聚瀧酒店で昼食、荷物を置いて14時半九華山を目指す。雨が時々はげしくなる。濃い霧の中をロープウェイに乗り百歳宮へ向かう。まっ白な雲の中を行くようだ。五百羅漢堂、円通殿、東岸禅寺と巡る。百歳宮には金箔で包まれた無暇禅師の真身菩薩像が祀られている。円通殿の軒で暫く雨宿りをして小止みを侍。東崖禅寺へは団長が駕龍に乗られた。急な石段を登ると霧の中に朱の堂、入口や窓から堂の中まで霧が流れ込みひんやりしている。金色の五面羅漢や千手仏を拝した。石段を下って祇園禅寺へ参詣、祇園寺大雄宝殿は九華山で最も大きい建物で参詣者も多い。みんな濡れながら聚龍大酒店へ戻る。 伊都貞子(記)
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化城寺 |
百歳宮 |
万年禅寺 |
化城寺→http://www.otpi.co.jp/information/kyukasan.htm
真身菩薩像→http://dharma.fgs.org.tw/shrine/bukouen/tannka/0012.htm
黄山西海飯店は黄山風景区に位置しており、海抜1600mで奇松に囲まれ周りに雲海が漂い、怪石が多く見られ環境が幽雅であると楊さんは言う。
黄山は72の峰があり中でも3大主峰は蓮花峰(1880mが最高峰、光明頂一1860m-、大都峰(1842m)で厳しい峰々。
今日の天候だと眺望は無理とのことで、一行は(排雲亭へ向かう。濃霧で山容は見えず7名で(飛来石)へ向かったが、登りがきつくなり途中で2名が引き返す。5名で山道を進むと(回音壁(やまびこ))の立て札、早速「ヤッホー」と大声を上げると「ヤッホー」が響き渡る。その時霧が流れて山の姿が見え一瞬(飛来石)を見ることができた。「ああっ」と感動する。楊さんの「猿が雲海を見る石」を見ることができてよかった。やっと(飛来石)に辿り若いたが視界が悪く残念。
帰路、陶知行(清の後期の教育者)の石碑があり、行是老子(親)知識是児子(息子一創造是孫子)孫)の意味を、楊さんが説明してくれる。霧雨の西海飯店に着いたのが16時50分、黄山の奇観を是非もう1回訪れてこの眼に納めたい。、次回は山麓からのぼってみたいと思うのだった。 青木 啓(記)
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黄山奇峰 奇巖群 |
黄山奇景・松 |
排雲亭 |
黄山72峰http://www.chinahuangshan.com/lyzx/hs_hstk.asp
飛来石→http://www.huangshan.net.cn/tupian/index.asp?typeid=26
黄山・九華山→http://www.uhuangshan.com/japanese.htm
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今朝は久し振りに良い天気。横川に架かる横橋の上には人が集まっている。地元の人達が体操をしていたらしい。ホテルを出発し空港へ向かうバスの窓からは、草むらに腰を下ろした牛の親子が耳をパタパタしているのが見えて、この田園地帯の豊かさと長閑さが窺える。9時50分、黄山空港を離陸。機窓を覗くとユ二―クな形の千島湖をはじめ湖が点在している。この辺は標高差が少な いからだそう。上空に薄膜を張った様な雲が広がってい
たのが、上海に近づくにつれ温暖になるのか、小さな雲 の塊が至る所でモクモクし出す。

10時45分、虹橋空港に着陸。バスに乗り西へ約60キロ、江南の水郷古鎮である。 「周荘(周庄)」へ向かう。モダンなマンションや新し い会社が建ち並ぶ広い高速道を直走ると、淡水魚の豊か さと養殖で知られる「淀山湖」が児えてきた。上海郊外の保養地として、会社の療養所や別荘が多く在るそうだ。やがて、所々に水路や小さな池、時折藁葺き小屋も見受けられる並木道へと入る。この道が出来る前は湖東岸の 「朱家角」と西岸の周荘は舟で行き来していたという。
12時40分に周荘に着き、天天匯大酒店で昼食をとる。白魚という淡水魚に真菰の芽など、豊富な食材のご馳走が食卓一杯に並び美味しかった。人力二輪車が並ぶ大通りを抜け水郷村に入る。白い壁に黒い屋根などの占い建物が並んでいる間を水路が走っている。その運河を小舟に乗って船頭さんが櫓を漕ぎながら遊覧してくれる。両岸には民家やお店・屋台が並び、人々の日常生活が垣間見えた。コンクリートの舟があったのには驚く。アーチ形の占い石橋が架けられた河畔には柳がそよき、ゆったりとした気分にさせてくれるのだった。 嶋倉 令(記)
周荘→http://www.shanghai.or.jp/kanko/kankochi/shuso.html
写真→http://www.photohighway.co.jp/AlbumTop.asp?key=331145&un=57515&m=0
<九華山>は地蔵菩薩の霊場、唐代の昔から神聖、純潔、吉祥の「蓮花仏国」と呼ばれてきた。この山の最古の化城寺は山の斜面に建ち、現在は歴史文物博物館として貴重な文物を展示している。私たちの宿舎は、その化城寺を真っ正面に仰ぐ聚龍大酒店である。参拝する頃になって霧雨が降り出し、面々の眉をひそめさせる。いま全山には93宇の寺院があり1999年9月9日、高さ99mもの露座の地蔵菩薩像の定礎があり、毎日国内外からl万人以上もの観光客が訪れたそうだ。
地蔵とは、仏教の「安忍して動かざることなお大地の如く、静慮して深密なることなお秘蔵するが如し」という句から1字ずつ取ったもので、無限の善根を蔵ずる大地のような存在である。という意味。「衆生を済度して菩提を証し、地蔵空ならざれば誓って成仏せず」との大願から明るい天界を捨てた地蔵は、右手に衆生を守る錫杖、左手に衆生の願望を満たす如意宝珠を持ち、暗黒悲惨の地獄に入って「罪鬼」を済度するのだ、と中国古寺巡礼記にある。それによると地蔵菩薩は、印度から中国に渡来し唐代に至り九華山に応身金地蔵菩薩となって現れる。九華街から石畳の道を登り81段の石段を登った神光嶺の頂上に、肉芽殿がありその中の木塔に、金地蔵菩薩の真身(ミイラ)が安置されている。
仏説によれば貞元11年(794)7月30日、99歳の金喬覚は生命の終わりを感じ、弟子を集めて別れを告げた。涅槃に人った後、衆僧は仏教の定めに従い趺座した遺体を石の棺に納めた。3年後蓋を開けてみると遺体はまだ柔らかく、顔には生気があり関節も硬直せず揺すると鎖のような音がした。憎たちは菩薩が生まれ変わったのだと思った。だが、どの苦薩なのか、金喬覚の法号は地蔵であり、顔つきも持ち物も古地蔵にそっくりなので、地蔵菩薩であると認められ、さらに「金」という俗姓から金地蔵菩薩ど呼ばれることになり、そこで僧と在家の信者たちが3層の石塔を立て肉身を安置し、肉身殿を建立したのだという。
霧雨のけぶる磴を上ると<百歳宮纜車站>つまりロープウェイ駅だ。海抜1342mの最高峰の十王峰に続く連山は霧雨の
奥で、緑深い奇峰や古い寺院の姿さえ隠している。冷たい雨滴が衿首に落ちる下蔭の径を<百歳宮>に向かって歩く。やがて<百歳宮>の朱瓦が見えて来た。ここは120歳まで生きたという無瑕禅師(明代)の即身菩薩が安置されている堂宇で、摩空嶺の険しい崖にへばりつくように立っている。黎元洪の書になる<欽賜百歳宮、護国萬年寺>の扁額のいかめしさに佇ち尽くす。中央の応身菩薩の前には、お詣りをする人と喜捨に応えて鐘を打つ憎が見える。私も某かのお灯料をまいらせて合掌する。ここで少し『真身菩薩』について触れてみる。高僧は円寂して後も肉身が腐るこはない。これを真身(即身仏)という。真身を金で飾ったのが真身菩薩だ。金地菩薩から1000余年の間に九華山には13体もの真身菩薩が現れたというから驚きである。肉身殿の石塔に安置された金地蔵菩薩は、60年に1回しか開扉されないので拝むことは不可能だが、百歳宮の無瑕禅師の真身菩薩は、時間があれば拝むことができる。
つじ 加代子(記)
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