AIで楽曲を楽器やボーカルに分離する
九州の旅

湯布院・竹田・耶馬渓谷・臼杵大仏・高千穂
壱岐・青島・桜島・大宰府・雲仙・開聞岳


由布岳
由布岳や雲の離れて夕凉し。湯布院は九州の軽井沢とよばれ、由布岳の麓に広がったしずかな盆地である。由布院駅が、機関車を模倣して作られたようだが今や街のシンボルとなっている。駅を背にすると真正面に由布岳が見える。金鱗湖周辺には民芸村をはじめ、ガラス美術館、ハーブの店、自動車博物館、それぞれ趣向をこらした小物店があり、若い女の子のお気に入りスポットになっている。

岡城址
夏草や城垣今も天を突き。不朽の名曲「荒城の月」で有名な竹田市の岡城址。花こそなけれ城跡の頑丈にも残り昔の風格を残していた。武家屋敷の一角にある瀧廉太郎記念館。そこは、12才から14才までの少年期を過ごした旧居である。離れには、廉太郎の部屋があり、机や愛用のバイオリンが置いてあった。結核で23才で夭折したが、その短い間に、数多くの名曲が生まれる。 廉太郎辞世の曲。「憾み」(うらみ)を聴く

青の洞門
菊池寛の「恩讐の彼方に」で有名な青の洞門。過去に殺人の罪を犯し、その罪を悔いて仏門に入った禅海が、修行の旅に出て、土地の人々の苦労を見て30年の年月をかけてノミと鎚でトンネルを掘ったという。覆い被さるような崖が露出し峰の高さを競っていて、危なくもあるが美しい。昔いくつも鎖があったそうだが、確かにこの崖縁を歩くのは難しい。それでも川に落ちたようである。


臼杵大仏(大分)
大分県は磨崖仏の宝庫で、全国の八割を占め、中でも臼杵石仏はその質、量とも日本一で国宝に指定されています。その日も外人客がパンフレットをもって回っていました。わが俳句の師も、行くのなら臼杵と言っていた。参拝の道順に従っていくと弥陀群のホキ石仏、なぜだか地蔵菩薩(本来は閻魔大王)と十王像のある堂ケ迫石仏。童顔で親しみのある如来の山王山石仏。そして臼杵のシンボル仏頭の復位問題(本来は、落下していた)でゆれた大日如来がある古園石仏(写真)それぞれの石仏の御面相は、お釈迦様の幼年、青年、壮年となっていて、全部向かいの満月寺に向いている。

高千穂(宮崎)
天孫降臨の地といわれる高千穂峡谷は、神秘的で、この世とも思えぬような美しい所だった。舟を借りオールを漕ぎながら峡谷の奥へ奥へと行った。夢みたいにそそり立つ懸崖から滝しぶきとなって落ちてくる。ぎこちなさからボートの先端を入れてしまった。あわや全身べとべとになるところだった。上には遊歩道もあり、渓谷を満喫できる淡水魚の水族館もあって、子供は喜ぶ。
途中、天照大神がお隠れになったという天岩戸神社へ行った。大きな社で、その岩は神域になっており誰も足を入れさせてくれないようであった。

青島(宮崎)
昔は、新婚旅行というと青島というのが定番であった。少し沈みかけた夕日を見ながら青島の方へ歩いた。青島まで橋がまっすぐのびている。橋からは鬼の洗濯岩とよばれる波でできた奇妙な岩が見える。浜から海に向かって真っ直ぐ幾筋も走っている。その波状岩の頭が波に洗われたり入ったりしている
壱岐の島(長崎) 博多から佐賀行きの電車で呼子(佐賀)へ行った。壱岐への船に乗るためである。船が出る前に、加藤清正の設計と言われる名護屋城跡(佐賀)へ行った。はるか朝鮮が見渡せるようなところだ。さて、そこから潮風に揺られて一時間風変わりな島々を眺めながらの遊覧であった。やがて「歓迎」文字がくっきりと見えた。向こうについてみやげ物も買わず、乗ってきた船でUターン。壱岐(長崎)は、まるで行かなかったようにそれで終わった。

大宰府跡(福岡)
二日市には西の京都と呼ばれる大宰府があった。左遷された菅原道真が何の役職もなく侘しく暮らし亡くなったところで、後にたたりを恐れて大宰府神社を建てたという。展示館には、菅公の書文があり活字のごとく端正な字が性格を物語っていた。
タクシーで大宰府跡へ行ったが石碑と柱の土台が腰掛にちょうど良いほどに地面から出ていた。何かを目指してきて何もなく太陽の下で肩を落としているみんなの様子が哀れであった。

雲仙岳(長崎)
佐賀より出島5号で諫早へ、諫早からバスで雲仙へ行った。高校の修学旅行のコースで所々覚えており、なつかしく感じた。
愛野展望台から小浜海岸が見え絶景の場所であった。九州の道はよく整備されていて美しい。緑の山々の間から白い煙があちらこちらと立ち上りまさに日本人好みの温泉気分である。

桜島(鹿児島)
峠を越えて鹿児島にはいると、朝の茫々たる光の中に薄き灰色の桜島の影が浮かびあがっていた。この太陽が昇ろうとしている桜島の大自然を見逃しては、もったいないと、遂に車を止めて外に出た。まじかに見る桜島の大きさには、ほんと心が打たれるもんだ。

開聞岳(鹿児島)
薩摩半島南端の開聞岳。標高992mの二重式火山、その造形の美しさから「薩摩富士」とも呼ばれています。休火山で9世紀に二度噴火しています。この写真は学生時代のもので放牧している様子が見られますが現在やっているのでしょうか。ともあれ、山容よろしく海上を航行する人々のよき目印になったといわれます。

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